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平澤珈琲店と私

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2020年9月神静民報「小動だより」

 

平澤珈琲店、オープンまでの話

 静岡銀行からくまもとらーめんブッダガヤの匂いを嗅ぎながらヤオマサ方面に向かう途中に平澤珈琲店はある。ガラス越しに見える焙煎機に珈琲豆がまわっていると珈琲のいい香りが歩道にも漂う。小さな珈琲店で、オープンから1年が経過した。この珈琲店と私は切っても切れない関係だ。その理由は夫が営む珈琲店だからだ。

 私たち家族は、3年半前に小田原に引っ越してきた。当時夫はサラリーマンで、東京の外資系企業に勤務していた。私は、その3年前に会社員を辞めていて、気楽にスタートアップ企業のお手伝いでお小遣いを得ていた。
 その年の秋に夫は会社から契約解除を求められ、すぐに新たな企業で働き始めた。ところが企業文化が合わず、かねてからの夢である、珈琲店を始めたいという。いやいや、ちょっと待ってほしい。我が家には金食い虫が一匹いる。あと4年以上学生生活がある。だましだましサラリーマン続けてもらえないものかなぁと思いながらも、本人の目の前で「今は辞めないでほしい」、その一言が出ない。そう、私は核心を言葉にできない。

 夫は以前から、生豆を購入し家で自ら焙煎し、毎朝美味しい珈琲をいれてくれていた。お店を始めるにあたり、資格も取りに行ったようだ。そして、パンはかれこれ20年ほど焼いている。たしか辻クッキングスクールで受講もしていた。娘の友人は、彼のパンを「パパパン」と名付け、多くの人が褒めてくれた。とはいえ、それは素人のパンとしての称賛であって、職業としてはどうなんだろうと。私は少々心配性のようだ。

 なんだかんだ話が進んで、物件を見にいって、契約して内装工事をして、最後は自分で机をつくったり、漆喰で壁を塗ったりして、昨年8月23日に平澤珈琲店はオープンを迎えた。

 

珈琲店、一年が経って

 「賞味期限があっても、いつ焙煎したかがわからないんだよね」と市販コーヒー豆の話をしながら、焙煎したての珈琲豆を買って帰る人。「今日は何にしようかな」と浅煎りから深煎りまで約20種類が書かれたボードを楽しそうに見る人。丁寧に炊いた小豆をペロリと食べる2歳女児。家族で毎週のようにきてくれ、小田原本を手に嬉しそうに店主に見せる小4女子。おそらく彼女がパンやお菓子を一番たくさん食べてくれている。本当にありがたい。でも初めからこんな状態ではもちろんなかった。天然酵母パンが酸っぱく仕上がったり、アイスコーヒーが薄かったとか、そういうことも私の記憶にはある。

 一年間、夫はやるべきことをちゃんとコツコツとやってきて、日々「アップデート」してきたんだと思う。そしてこれからもそうだろう。昨年晩夏にお店を訪れ「ちょっとなぁ」と思った人もぜひ、今一度足を運んでほしい。最初は安定していないこともあったが、今は安定した美味しさだ。

 

最後に、私と珈琲店

 男女雇用機会均等法が施行された年、私と夫は、両国高校に入学した。西湘でいう小田原高校のような学校で、私は、いい大学にいっていい会社で好きな仕事をして…と漠然と思っていた。一浪したばかりに就職氷河期の94年、滑り込んだ会社の在職期間に結婚、出産した。仕事では予想を超える男女格差があり、出産による休業で昇格条件が満たされないことが、どうしても納得いかなくて、特例(産後休業期間控除)で受験資格を得た。私は周りに恵まれ、みなさん愛情深かった。でも釈然としない思いが続いて、それは結婚という制度でも同じだった。常に夫の名前の次に私の名前。一年ほど前も「どうせ女なんて稼げないだろ」と隣人から。「おっさん、その考え、まじアップデートしろ!」と心の中で叫けんだ。

 私は四半世紀にわたり、釈然としない思いを根底に抱えてきた。昨年の珈琲店オープンで、娘の生活保障は私の役割となった。とりあえず一年まわして思うこと。そうか、私は資本主義的尺度で実感が欲しかったんだ。理論上できることはわかっていた。でも実際一人でまわす機会がなく、自己効力感を持てなかったのだ。私はついに、この釈然としない思いから少し抜け出せた。
 「経済に衝動を」。私の大好きな山口周さんがNewsPicksの番組で言っていた。夫は、自分がやりたいという思い、衝動を経済活動にしている。私は娘が大学卒業するあと2年半、資本主義的尺度で仕事し、失われた四半世紀を取り戻そう。

 最後に、まだ平澤珈琲店を訪れていない珈琲好き、パン好きの方、ぜひ足を運んでいただきたい。ここに写真はないが、店主は、高校時代、かわいい系かっこいい男子だった。今もその面影を残している。(文/平澤芳栄)

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