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「老い」そして「未来」のこと

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2021年3月神静民報「小動だより」

 

春なのに……

 水仙が咲き、梅の花が咲きほこる春。せっかくの春なのに、気持ちがさえない状態が少し続いた。

 2019年の秋、私は家を購入した。東京で暮らす両親を小田原によんで一緒に暮そうと思った。その方がお金だってセーブできる。浮いたお金でUSA360にするかS&P500にするか、いやいや、もっと攻めた投資にするか…なんてことを気軽に考えていた。コロナが邪魔をし、慣らすために行き来を始めたのが2020年の晩夏。そして2021年の春、両親と一緒に暮らすことを断念することにした。

 

親の老いは加速していく

 子どもの成長は早いというが、親の老いはどんどん加速していく。私の母は、アルツハイマー型認知症で、短期記憶が壊滅的である。ちょうど10年前に両足首を骨折し、長い入院生活を余儀なくされ、本人の希望もあって翌年足に埋め込まれたボルトを抜く手術をした。そこから足の痛みがひどくなり、ほとんど歩かなくなってしまった。それが認知症の大きな要因になったのではないかと思う。知らない間に、食事をはじめとした家事全般が父親の役割となっていた。

 私が小田原に引っ越してきた4年前、この自然豊かな場所を見てもらいたい、そして新鮮な野菜や魚を食べてもらいと思い、早々に両親に遊びにきてもらった。地下鉄からロマンスカーに乗り換え、駅から10分ほどの家まで当時は歩くことができた。今ではタクシーと新幹線しか使えない。物忘れはその時からあったが、その事実を直視したくなかったこともあり心療内科に行くことが遅れてしまったことを後悔する。

 2019年初夏に両親宅を訪れた際、お正月の松が枯れた状態で玄関にあった。以前から医学生の娘にアルツハイマー型認知症は薬で進行を遅らせることができる可能性があるから早く医療機関で検査するようを勧められていたが、なかなか行動に移すことができなかった。枯れた松を見て、私はようやく母を医者に連れて行くことにした。そして、アルツハイマー型認知症と診断された。診断から1年半ほどであるが、母は気分を害すると暴言をはき、入浴や歯磨きを自らしなくなってしまった。

 浜辺で釣りをしてみたいと父も言っていたが、新たな土地での暮らしは、慣れなく不自由だったのであろう。歩いているとわからなかったが、車いすを押すには勾配がつらかったらしい。私が勧めた歯医者も通うには遠く、コンビニも600メートルある。結局姉に東京の方が住みやすいという言葉を漏らし、小田原での両親との暮らしはなくなった。正直少しほっとしている自分もいる。母と一緒に暮らすのはかなり精神的に疲れるものであった。

 余命宣告をうけた状態で、お母様といろいろと話すことができたという知人がいる。ご本人も娘である彼女も納得して死を受け入れられたという。生きてはいるが、もう会話が成り立たなくなってしまった母の何を私は知っているだろうか。

 江東区での介護認定調査を立ち合い、この地であれば父も3時間くらいは外出して馬券売場に行ったり、コーヒーを飲みに行っていることを知り、老夫婦の小さな暮らしの営みはそのままにした方がいいんだ、これでよかったんだと自分に言い聞かせた。

 

文教費の2倍以上の介護費!

 ここで50代以上の人と共有したい事実がある。2020年予算ベースで、文化教育・科学振興費が5.5兆円、介護保険給付費が12.7兆円だ。この数字を見て何も感じない人はいないと思う。愕然とする数字だ。このままでいいはずがない。私たち自身、何をしたらいいのか。

 

2020年度の介護保険費と文教および科学振興費の予算。介護保険費が2倍以上の予算である。

 

 テクノロジーの進化で介護や医療に関わる費用が劇的に安価になるかもしれない。50代以上の人に歩行速度や心拍が測定してクラウドに自動アップロードするようなデバイスをつけることを義務付け、さらには医療の早期介入を義務付けるとかもアリかもしれない。若者に投資する国でありたい。医療費や介護費を抑制するための施策が提示されたら、もうそれには従順に従いたいと思ってしまう。

 少々話が逸れるが、ここ最近、未来予測の本が書店に並んでいる。ストレングスファインダー®で未来志向の私にとって、未来の年号がでてくる本にどうしても手が伸びてしまう。その中で衝撃的すぎたのが元日本マイクロソフト社長成毛眞氏の著書「2040年の未来予測」だ。特に日本にフォーカスして、社会保障、ゲノム編集などのテクノロジー、地球温暖化、南海トラフ地震、富士山噴火、首都直下型地震、水資源などについての20年後の未来が書かれている本だ。「おわりに」の章で「『あなたの力で国を変えよう』などと間違っても思うなということだ。」「今、これを読んでいるあなたは、国を忘れて、これからの時代をどうやって生き残るのかをまず考えるべきだ。」「生き残るのは優秀な人ではなく、環境に適応した人であることは歴史が証明している」と。少々暗い気持ちになりながら本を閉じた。閉じられ本の裏表紙の帯に「考えられる人の未来は明るい」とあるのが目に止まった。あっ、そういうことか。ついつい今日のこと、明日のこと、目先のことばかり考えてしまう日常であるが、私たち一人ひとりが、未来をもっと考えて生きていく方が未来が明るくなるということか。

 

「読者が選ぶビジネス書グランプリ2021」に選ばれた「シン・ニホン」 安宅 和人(著)と「2040年の未来予測」 成毛 眞(著)。「考えられる人の未来は明るい」は裏表紙の帯に。

 

介護医療費×未来、「尊厳死」について真剣に考え始めたい

 ここで先に書いた文教費の2倍以上もある介護給付費やら社会保障についての話と未来の話をしたい。誰もが医療費や介護費、社会保障の仕組みがそのまま維持できるとは思っていないだろうし、今さら説明するまでもない。テクノロジーが進化して介護ロボットが…という話は私にはできない。ここでは私見というか、未来のために今から自分がやっていくことを書こうと思う。「尊厳死」、「安楽死」について、自分がどうしたいのか考え始めるということだ。そろそろ真剣に自分自身が考え始め、他国を調べたり、すでにある法案を読んだり、主に同年代以降の人と話し合ったり共有していこうと思う。

 いわゆる偉い人やらがこういったセンシティブなことを言うと、ワイワイ騒ぎ立てる世の中だ。普通に日本に暮らす大人が、「尊厳死」、「安楽死」について考えていくことが、この先日本としてどうしていくのかを決める一番近道なのではないかと思ったりする。

 なんだか「死」というとどうしてもマイナスなイメージであるが、もっとラフに考えていってもいいのではと私は思う。最終的には誰もが死を迎えるからこそ、楽しく、悔いがないように毎日を過ごそうと思えるわけだ。「考えること」や「決めること」を誰かに委ねたりせず、自身で考えるということが大切だと私は思う。

 ちなみに、安宅和人氏著書「シン・ニホン」でも「Life as valueの時代に」のくだりで、アクションとして「尊厳死を合法化する」をあげている。その対象者のひとつに「シニアで十分に生ききったと思う人」という表現を使っている。もちろん病気要因のことも言っているが、「高齢者でかつ生ききったと思う人」に「尊厳死」というオプションがあるというのは悪くはないし、「生ききった」と将来思えるように生きていきたいと、あらためて思う。

 おまけだが、そのアクションの1つに「生まれたときから年金を積み立て、運用する仕組みをつくる」というのもある。安宅氏は、国家離脱防止の費用として真剣に考えるべきと言っているが、それ以上に、「日本にいたい」と思う若者が、国外にやむを得ず出ていくということは避けたいと思う。日本を「いたい」のに「いられない国」にはしたくない。

 かなりセンシティブなことではあるが、言いたいことはこういうことだ。

 

超高齢社会を社会現象とせず、自分ごととしてとらえて、

『考えること』や『決めること』を誰かに委ねたりせず、

自分で考えていくようにしてきたい。

 

とはいえ、未来はやっぱりワクワクする!

 先述の2030年の未来本は、あのイーロン・マスク氏の盟友が書いた本であり、これまたすごい本だ(「2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ」ピーター・ディアマンディス (著)、 スティーブン・コトラー (著))。今、流行りの言葉「エクスポネンシャル(指数関数的)」と「コンバージェンス(融合)」だ。量子コンピュータ、バイオテクノロジー、AI、VR、AR、3Dプリンティング、ブロックチェーンなど旧聞のテクノロジーが融合されてさらに加速していくという事実。自動運転、空飛ぶ車、ロケットで1時間以内で海外へ!なども現実になるのだ。「ユーグレナのバイオ燃料の飛行機に乗るまで死ねない!」と周りには話をしていたが、「ロケットでちょっとヨーロッパいってくるわ、2泊3日で。」なんて言ってみたい。

 エクスポネンシャル・テクノロジーの成長サイクルは6つのステージがあり、その3番目に破壊があり、最終的には大衆化となる。この破壊のステージが既存の製品、サービス、市場、産業を破壊していくという。一例をあげると3Dプリンティングが10兆ドル規模の製造業を脅かすらしい。本書では「テクノロジーの加速は『豊かな世界に向けた、絶え間ない前進』という大きな流れの一部」として楽観主義者でいくべきと言っている。破壊される側にいたら、確かにそれは耐え難いことではあるが、だからこそ柔軟に適応してくことが大切であると成毛氏のメッセージにもつながる。進みだしたら過渡期であっても、もう不可逆だ。

「2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ」(電子書籍)

 

 温暖化、飢餓、水資源やらの解決していなかければならない問題もたくさんあるが、それもエクスポネンシャル・テクノロジーのコンバージェンスで解決し、また未知の問題がでてきても、加速したテクノロジーとその融合によって解決していく。ある意味、その繰り返しがホモ・サピエンスの宿命なのだと私は思う。

 さあ、まずはブロックチェーンに、自分のDNR(蘇生措置拒否)的な意思を定期的に記録するやり方を調べるか。

 

あとがき

 小学校の図工の時間に描いた未来の絵がようやく実現されると思うとワクワクします。今回、「尊厳死」という言葉を書くことに少しためらいもありましたが、「もっとラフであれ!」という思いで言葉をつづってみました。あくまでも私見で、50歳の私自身がこれからどうしていくかを書いたまでです。

 話は変わりますが、50歳といえば、今年に入ってから朝方にトイレに起きるようになったんです。「やっぱり歳だからなぁ」と。たまたま入った錦通りの「布団のナカヤマ」で「玉川の岩盤浴ふとん」なるものを購入。いやいや、これがものすごくよいのです。快適に眠れるようになりました。広告でもなんでもないですが、「良質な睡眠を」と思っている方がいたら布団を見直すのもアリです。(文/平澤芳栄)

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