幸せホルモンでまくる小田原を妄想
2019年10月神静民報「小動だより」
目次
まだ都会で消耗してんの?
私が好きなイケハヤさん(イケダハヤトさん。古くの元総理大臣ではないです)のマネで、「まだ都会で消耗してんの?」と私は声を大にして言いたい。都会で働いて生活していると、なぜか将来への不安が高まる。ここ小田原での暮らしで、私はいい感じで楽観主義になった。消費するだけではない、「生産する」ということが身近に感じられるからだと私は確信している。消費だけの生活は神経を消耗させ、要らぬ不安をかき立てる、と私は思う。
私は2年半、小田原暮らしの素晴らしさを会う人会う人に伝えてきても、その素晴らしさを伝えきれずにいる。もっとにじみ出るような幸せホルモンを出さなくては、「小田原で暮らしてみたい」という気にはならないのかもしれない。市民みんなで幸せホルモン全開になる方法について妄想してみた。
r>g からの『分度・推譲』
妄想なので急に話が飛ぶが、トマ・ピケティの『21世紀の資本』、2014年に出された本だ。難しいし分厚いしで読めたものではないが、ピケティはr>gだから税制改革をすべきという結論を出している。rは資本収益率でgは経済成長率。つまりは、労働で得られる収益よりも資本で得られる収益の方が大きい、よって富めるものはますます裕福になって格差が広がるということだ。当時NHKでこの本の紹介を目にしたとき、なんて社会だと落胆し嘆いた。5年も経過するとすっかり忘れていて、最近、とある事業家からr>gだからこそ、一般人でも投資をしないのがもったいないという話を聞いた。「格差社会」の側面から捉えたピケティと事業家から聞くピケティ、「あのぉ、5年前にあった同じ佐藤さんでしたっけ?」のように、私の思考回路で全くつながらなかった。帰ってきてググると、なんと同じピケティさん。なんとしたことだ。すぐに本を取寄せたが、私にとっては最強の睡眠薬。結局図解本を走り読みした。読んで何かがあったわけではないが、1つの捉え方をそのまま鵜呑みにした私は浅はかだったと思った。
格差社会の象徴ともいえるr(資本収益率)>g(経済成長率)を違う方向から捉えると、見える世界は変わる。百年ほど前は、庶民は企業の資本保有などできなかったというが今は違う。誰でもが企業の資本を持てる時代だ。不労所得だけで暮らせるようにとか、そういうことを言っているのではない。労働所得の一部を資本への投資に回すということが、自分の将来を守ることでもあるし、個人ができる社会的責任の一つであると私は思う。二宮金次郎の教えである「分度・推譲」と重ねてしまうのは私だけであろうか。金融リテラシー向上とかそんな薄っぺらいものではなく、こんな時代にどうやって自分は生きていくのか、「分度・推譲」の教えに重ね合わせ、自分の人生を、自分が暮らす地域を、どうしていきたいか。地域全体で真剣に考え取り組むことを、ここ小田原から始めるのはどうだろうか?その取り組みによって日本一幸せな都市になれるに違いないと私は考える。
『暮らすタイプのアルベルゴ・ディフーゾ』からの移住
さらに妄想は膨らむ(違う方向へ膨らんでいることをご容赦いただきたい)。「アルベルゴ・ディフーゾ」というものを私は初めてこの夏にANAの飛行機の機内誌で知った。イタリア語で分散した宿。空き家を改修して宿とし、レセプションやレストラン、会議室、土産物屋などの様々な施設が、町の中に分散している。大きなホテルならば一つの建物内にあるレセプションや客室などが、町の中に分散していて町全体をホテルとみたて、そこを観光客が行き来する。機内誌では、「ホテルは縦に高くなっているけど、アルベルゴ・ディフーゾは横に広がっていく」と。
日本でも台東区谷中ですでに行われているらしい。谷中の集中した下町情緒感は「アルベルゴ・ディフーゾ」の概念に非常に合致していると思う。谷中の例のようにコンパクトにまとまってはいないものの、小田原にも古い建物に命を吹き込む人たちがすでにたくさんいる。さらに私たちには海も山も川もあるわけだ。いわゆる1泊2日、2泊3日程度の「観光」ではなく、「長期滞在」、「暮らすタイプ」のアルベルゴ・ディフーゾができるのではないか。海・山・川の自然に触れられて、新鮮で美味しい食べ物をたらふく食べて、ここに幸せに暮らす住人たちとふれあえる。暮らすタイプのアルベルゴ・ディフーゾだ。存分に幸せを体感してもらえる自信はある。「だったら隣の空き家にずっと暮らしちゃう?」みたいな展開も、もはや妄想ではないと思う。(文/平澤芳栄)
大人女性こそ、r(資本収益率)>g(経済成長率)の享受に向いている?!
就労機会や労働収益におけるジェンダー格差は昔は非常に大きかった印象ですが、扶養範囲内パートタイムなどもそのひとつなのかもしれません。ところが今の時代、r>gで考えると、分度を守りコツコツと投資していくと労働収益よりも大きくなる可能性が大ということなのです。
よく「お金儲けきらいだし」とか「経済ってよくわからないし」など耳にします。私も明るくないですが、わかろうとする努力は怠ってはいけないと思うのです。 「経済のことはよくわからないと言って済ましてしまうのは安易すぎる。他人まかせにしてはいけない。」と、格差社会について提言をしているピケティもある講義で言っています。
2019年10月神静民報「小動だより」より
【この記事について】台風19号で三の丸小学校に避難しているときに、入稿記事(他の内容)が掲載できない内容だと連絡があり、急遽、代筆した記事でした。そのためか、かなり支離滅裂な内容だったので、Web掲載するにあたり、編集しました。しかし、編集しても支離滅裂感は否めず、当時マイブームだった「r>g」についてどうしても誰かに伝えたかったのが丸出しの文章で、よくこんな内容が新聞掲載OKだったなと思ったりします。(2022年1月09日記)
前の記事へ
次の記事へ